前回記事
2022年4月7日。
仕事の帰り道、夫との待ち合わせ場所である薬局に到着(^_^)/
前日受診した時に処方された心臓の薬を取りに行った。
私は働けなくなることへの不安と疲れでくたくただった。
薬を受け取り帰ろうとした時に、動悸がして動けなくなった。
しばらく薬局で休ませてもらい、夫がそばに座ってくれていた。
胸痛発作
2022年4月8日。
日勤だったけど、前日に動悸がしたから念のため仕事は休むことにした。
朝からのんびりして、夕飯は夫が作ってくれた。
(毎日夫が作ってくれてるのだけど
(`・ω・´))
(私はテーブルを拭く係)
19時半頃、夕飯を食べてる時に胸がどんどん熱くなった。
まさか!!!(☉。☉)!
もしかしてΣ(・∀・;)
熱さは強烈な痛みになった。
灼熱感と胸痛Σ(゚∀゚ノ)ノキャー
私は痛みで座ってられなくなり、四つん這いになってニトロを舌下し、1分ほどでよく効いて痛みは治まった。
深夜と早朝以外に胸痛発作がくるのは初めてだった。
受診の時に、主治医から「状態は不安定」と言われていて、仕事も始めたばかりに冠動脈を広げてけいれんを予防する薬を減らしたから色々重なって胸痛がきたかもしれない、と考えていた。
22時頃にシャワーを浴びて鏡を見ると、顔色が明らかに悪かった。
血色がなく、どす黒くなっていた。
(゚д゚)!
23時頃ベッドに入り少しすると、また強烈な胸痛発作がきた。
4月9日、ニコランジル(冠動脈拡張薬/血管けいれん予防薬)を1日3回に戻してもらった方がいいかも、と考え、かかりつけの病院に電話をして内科医に相談した。
主治医からの指導があるまで、ニコランジルを1日3回に戻して様子を見るようにと言われた。
数日後、病院から連絡が入り、翌週に受診するように言われた。
主治医に会えることになり、私は安心した。
本当に働けるって言われたの?
出勤した時に胸痛発作と現状を師長に報告した。
「ほんとに働いていいって言われたの!」と師長に言われ、「主治医から許可も出てますし、文書にも明記されています」と伝えた。
師長「 看護師はね、患者のことになると慎重になるのに自分のことになると全然ダメ。自覚がない。自分はできると思いこんで無理しちゃうのよ。病気した看護師に多いのよ。」
私「はい。。」
師長「こんなすぐに胸痛発作きて働き続けられるの?本当に働いていいって言われたの?40歳って若くないんだからね。」
私「 すみません。主治医からは仕事は過度な負担は避けて、少しずつ体を慣らしていってと言われていたのに無理をしてしまいました。」
師長「過度な負担って何?何をしていいか、何をしたらダメなのか、何kgまでなら持っていいのか、主治医に聞いてきて!本当に働けるって言われたんだよね?」
私「言われました。次回主治医に可能な活動量と範囲を聞きます。
私自身、少しずつ出来ることを増やしていこうと考えていましたが、最初から無理をしてしまいました。
自分で出来ると思ってたことと、体が出来ることが違っていました。
迷惑をかけてしまい大変申し訳ありませんでした。
自分の病気を受け入れられていませんでした。」
心臓病の受容
もう号泣していた。嗚咽して、どうしようもなかった(´・ω・`)
心臓病になった自分を受け入れられていなかったと認めるしかなかった。
心筋梗塞で倒れた後もリハビリで無理をし続け、冠攣縮性狭心症になった後も健康な時と変わらない筋トレのメニューをこなし続けていた。
私は心臓病になった自分を受け入れられていなかった。
夫や親友のキキとリリの助言に耳を貸さなかった。
自分はこんなに元気だし、やれるに決まってる(๑•̀ㅂ•́)و✧
むしろ健康な人たちより元気だよ(^。^)
働けるに決まってる!周りが心配し過ぎなんだ!!٩(๑`^´๑)۶
病気をしてからずっとそう思ってきた。
けど、間違えてたのは私だった。
焦りで周りが見えていなかった。
今までのように働けなくなるのがこわかった。認めたくなかった。
やりがいを失うのがこわかった。
そして、私の心臓が教えてくれた。
病棟勤務3日目で動悸がして、その翌日には強い胸痛発作が2回もきた。
私の心臓が、「もう無理だよ、つらいよ、休ませて」と言っていた。
ついに、受け入れられなかった私に、師長が気付かせてくれた。
「もう元には戻れないんだからね。あなたは病気なの。心臓病。大病だよ。自覚しなさい。」
私ももう分かっていた。
無理したら死ぬ。
私は心臓病だ。

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本当に胸が痛い
自覚しろと言ってもすぐできる事じゃない
でも分かりたくない納得したくないやれる事やりたい
胸が痛いわ……