老年看護 #17 選択と決意
9月19日の今日は、敬老の日だー\(^o^)/
私が出会ってきたおばぁたちのお話をいくつかしよう!!
幼稚園時代
私が幼稚園の頃は、おばぁがさとうきびを食べやすいように切ってくれて、
私はさとうきびをかじって甘い汁を飲みながらおばぁとおしゃべりしてた。
憩いのひと時(。・ω・。)
看護学生時代
女子大生(あえて言おう)の頃は、休みを利用してグループホームやデイサービスにボランティアに行っていた。
沖縄に帰省した時は、母が働くデイサービスにボランティアに通った。
元気はつらつなおばぁと話していた。
私「おばぁちゃん元気ですね!
こんなに天気いいと外に遊びに行きたくなりますよね!」
おばぁ「いいや、行かなくていい!
おばぁは彼氏探しに来てるからさ!」
デイサービスに彼氏探しに来たおばぁ、可愛すぎる(#^.^#)
また別のおばぁ。
おばぁ「チチちゃん!こっちおいで!
おばぁと食べると味があって美味しいよー!」
離れた席にいた私に、大声で呼んでくれたおばぁ。
おやつに誘ってくれた(#^.^#)
看護師時代
前に働いてた病院では、敬老の日が私にとって大好きなイベントだった。
スタッフには仕事始めから伝えておく。
私「今日は敬老の日だから戻り(ナースステーションに)が遅くなるぜ(`・ω・´)ゞ」
私は病棟の廊下を闊歩する。
「敬いたまえ〜尊びたまえ〜」
「おじぃちゃん、おばぁちゃん、顔が見れて嬉しいな〜嬉しいな〜」
「顔色いいな〜素敵だな〜」
「元気に長生きしてね〜」
病室に到着。
男性部屋では
「右見ても左見ても男前だらけだな!」
女性部屋では
「美人だらけで妬いちまうぜ!!」
患者さんは寝たきりで意思疎通ができない人がほとんどだから、返事はなかったのだけど、そんな言葉をかけてた(^^ゞ
看護業務を最速で終わらせ、ひとりひとりへのケアに時間をかける。
静かに名前を呼んで、
そっと触れて、
今日もあなたの顔が見れて嬉しいです、と言葉をかける。
「今日は敬老の日ですよ。
コロナ感染が流行ってるから、ご家族が会いたがってるのに面会できなくて残念です。
あなたの様子はご家族に伝えてますからね。」
この日だけは、患者さん全員の手を握り、言葉をかけると決めた大切な日
ヽ(=´▽`=)ノ
そーっと保清ケアをしてまわる。
看護師が近づいただけで、《痛いことをされる!》と全身がこわばって緊張する患者さんもけっこういる。
けど、ゆっくり、そーっとケアをしてるとこわばった体から力が抜けて、表情が和らいでくるのが分かる。
そのひと時が好きだった。
「自分は大事にされている」
患者さんに、そう思ってもらえる看護がしたかった。
「あなたはひとりじゃないですよ」
このメッセージが伝わるかかわり方がしたかったな。
忙殺されて一人の患者さんに2分も時間を割けないことも多いからさ!
重症患者さんが増えたり感染症があるとなおさらね(TдT)
私は老年看護が大好きだから、また働けるようになったら、やっぱり老年看護に携わりたいな。
おじぃちゃんたち、おばぁちゃんたち、
今日は敬老の日だよぉーー(*´▽`*)/
いつまでもいつまでも、元気に長生きしてねー(*^3^)/~♡

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わたしも老人が大好きで
ほんとうは介護福祉士になりたかった
(言ったことあったような無かったような)
結果的に、未来ある子どもの教育が
向いてるんじゃない❓と高校の担任に諭され
確かに、人の死を目の当たりにするかもしれない
仕事は、耐えられなくなってくるかも。と思って
保育教諭になったのだけど、
いま、現在、この未来は
その老人たちが積み上げてくれたものなのにね。
敬う気持ちが止まんねぇよ。
チチが、復職するとなったら、
チチの健康管理を監視するという名目で
わたしも一緒に働こうかしら。
看護はないけど介護の補助みたいな資格なら
持ってるし、
長年の夢が叶うならそれもありかなと
チチのブログを読みながら考えている。
ま!いまはね!お互い気ままに過ごそうや☺️
そうだったんだね!
アラレちゃんの正義感と思いやりは、福祉にすごく向いてると思う。
子どもたちはこれから未来をつくってくれる大切な存在だし、おばぁ達は今の日本を築いてくれた人たちだし、アラレちゃんは可愛いし。
私もアラレちゃんみたいにさ、人の死に何度直面しても慣れなくて、つらくて辞めたことあってさ。
けど勉強して、死生学を学んだり、自分の死への考え方が変わったり、看取るつらさが成長させてくれた面もあるからさ。
やってみないと分からないね。
健康管理の監視とはいえども!!!
一緒に働ける想像したらヤバくないですか?
楽し過ぎて毎日行く!!!(笑)
そうだね、今はのんびり気ままにいこう。
休息する時よね(^.^)
敬う気持ちが止まんねぇ←名言トップ オブ 敬老の日
実際に自分の祖父母たちを看取ったいま、
以前自分の中に抱いてた
「人の死を目の当たりにするのは辛い」
という気持ちは、
「その人に向き合えない自分」がいるからだと
気がついた。
キチンと向き合っていれば、
「ありがとう」「お疲れ様」「ゆっくりしてね」
と純粋に安堵する気持ちも出てくる。
そこには、もちろん辛い悲しい寂しい
という感情も芽生えることは前提だけどね。
つまり人と向き合うって言葉で言うのは簡単だけど
そこに気持ちを持ってって、やるべきことをやる。
これはなかなか難しいということを、
30を目前にやっと最近わかった。
チチという存在が例えただのご近所さんだとしても
こうやって縁あって出会えて
チチの身体のことを知ってしまった以上、
そして人と向き合うという真意を
理解し始めてきた以上、
これからも助け合って生きていきたいと思うよ!
ということは
わたしもニトロを持ち歩かねーとな。
2人のやり取りを見て目頭が熱くなりました!
初老。。。(笑)
初老の私さんありがとうございます。
思いが届いて嬉しいです(^_^)/